日本の学生の英語力の低さが公の場でもよく話題にされてきました。
アジアの諸外国の学生と比較するまでもなく、日本の20年前の学生と比べても、はっきりとした力の低下が見られます。
元凶として「ゆとり教育」ばかりが槍玉に挙げられたために、その撤廃によって、もう大丈夫であるかのような錯覚も広まっています。
けれども、日本の学生の英語力低下は、ゆとり教育の遙か以前から始まっていたのであり、単に授業時間数を増やしたり、詰め込み主義に切り替えたぐらいで解消できる現象ではありません。
義務教育の英語では会話能力をつけられれば十分として、中学生の教科書を話しことば中心の内容にしてしまったことに根本的な原因があります。
私立高校の入試や高校の英語では、本格的な文章を扱うことを要求されます。
中学校教科書中心に勉強してきて、書き言葉の訓練の不十分な生徒が、これに対処できないのは当然です。
CATの英語教室は、書き言葉としての英語に対する取り組み方、考え方、勉強の仕方を、基本から指導することによって、本格的な「読む力・書く力」の養成を行います。
考え方を身に付け理解できるから、楽しく英語の勉強ができるレッスンです。
理解を考えずに膨大な暗記を強制する方法は採りません。
数学的な「問題を考える」
→条件を整理する
→分析する
→発展させる
→論理的に正しいかチェックする
→結論を導く
ということが、楽しいものだと感じる気持ちを育てることを、最大、唯一の目標としています。
どの学年についても、問題の量をむやみに多く与えて解かせるといった「詰め込み式」、罰を与えて考えさせるといった「スパルタ式」は採りません。
子供の頃から好きだった数学の面白さを、後輩に伝えたいというのが初心で、この初心を忘れずに、数学を考えるパートナーとして一緒に楽しむレッスンをします。
以前は、国語は毎日使うものだから、普通に生活しているだけで身につくものと考えるのが一般的でしたし、それはある程度事実でありました。
けれども、言葉を使うトレーニングの場自体が失われてしまった現状では、母国語を使う能力をどうやって高めるかが大きな問題となっています。
外国語の力が、学ぶ人の母国語の力以上に伸びることはあり得ません。
そればかりか、数学での解き方は判っているのに、問題の文章を読んで、分析・理解する能力が低いために伸びることができないといった生徒が増えてきています。
高校・大学の入試で、小論文を課すことが多くなってきたのも、この点のチェックこそが学力の根本判断になるという理解があるからです。
CATの国語は、学校国語や学年の枠にとらわれずに、文字を使った表現、口頭による表現のトレーニング、さらに言葉とその周辺の知識に興味を持たせる様々なプログラムを積極的に展開し、日本語を使う能力を総合的に高めるレッスンです。